「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用
翻訳 田崎 晴明
, 翻訳 大野 克嗣
, 翻訳 堀 茂樹
価格:¥ 3,360 (税込)
出版:岩波書店
カテゴリ:単行本
ページ:368頁
JAN:9784000056786
Amazon.co.jp 売上ランキング:本で93038位
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レビュー
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「ソーカル事件」から15年 Date:2009-12-30 おすすめ度 ![]() 論争を背景に書かれた著書というのは、とかくその評価が賞賛と罵倒とに大きく二分されがちであり、 残念ながら本書もその例外ではなかった。刊行から10年が経とうという今、感情に流されない書評が この場にも(徐々にではあるが)現れつつあることは喜ぶべきことだろう。 「ポストモダン」哲学における自然科学概念の濫用を痛烈に指摘した本書は、少なくともこの点において どれほど評価されてもされ過ぎることはなかろう。誤った数学的概念のレトリカルな使用が、 どれほど読者に詭弁を信じ込ませる力を持つかを具体的に考えれば、その批判の正当性は明らかである。 著者達が現象学や言語論的展開の与えた強い影響力を理解していない事を割り引いても、この点は決して正当化されまい。 他方本書の生み出し得る最大の危険は、本書において論難された哲学者達の思想を 全く見るべきものがない思想であるかのように感じさせ得ることである。掲載されている哲学者達に疎い私でも、 幾つかの誤読が散見される(たとえばp110のファイヤアーベントの「なんでもかまわない」の解釈は私の読むところでは 科学の方法論の内容について述べたものではないし、p126のラトゥールの解釈はラトゥール自身の意図とは真逆に思われる) ことを考えても、本書のみによって槍玉に挙げられている哲学者達の価値を断じることは早計に過ぎると言えよう。 本書はいわゆる「ソーカル事件」を背景に書かれた。事件の内容については割愛するが、 この史的事実を理解することが本書を理解する上で益となるか損となるかは、ひとえに読者の賢明さに依存するだろう。 だが、本書が読者に知的な偏狭さを提供するものではなく、知についての真摯な省察を与える契機となることは、 著者自身が求めていることではないだろうか。 |
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客観てなんだろう? Date:2009-12-03 おすすめ度 ![]() 客観、客体ってなんだろうか?そんなことを読了して感じた。私が赤いりんごを見ているとする。「赤いりんご」は存在しているのかと問う。目に見えるし手で触れることもできるその物体は「赤いりんご」なのか? 「赤い」というのは視覚的表現だが、なぜ「赤い」なのか。「red」、「Rouge」、「Rot」、「Rosso」、「Rojo」、「Vermelho」でもいい。「りんご」も同じだ。つまりそこに存在している「赤い」や「りんご」という知覚は主観でしかない。 これを客観的に証明するには自分以外の他人も同様に知覚した場合、私からは客観的なのか?でもその客観は主観によってのみ知覚されている。客観というのは主観の合意事項といえるのか?ポストモダンの「知」識者はそんなことを証明するために自然科学を乱用したのか。 答えはノーだ。おそらく何らかの政治活動や社会活動の必要上、論理を押し付けるため、通常客観的に正しい−客観的に証明されている−とされている、自然科学の成果を利用したのであろう。とくにフェミニズムのような女性が女性のために主張する社会「科学」と称される科学は単なる詩的陶酔でしかないことが本書で明かになる。 |
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科学者がソーカル問題から学ぶべき事 Date:2009-11-21 おすすめ度 ![]() 本書は、一部の哲学者たちが科学用語を自らの理論を 権威付けする為に書かれた論文を徹底的に科学者としての立場から 批判したものである。そのことについてのレビューは他の人に任せるが、 これによって一部の科学者は、そのまま哲学批判を行うことまでしている。 これは明らかに不当なものであろう。ソーカル自身は人文科学系の分野に対して 相当尊敬の念を抱いている。それは、本書の冒頭部分で繰り返している。 そのことを理解せずして、批判の道具とするのは「愚かというもの」。 この問題を語る前に、いまネットワークの議論で話題となっている 社会科学と自然科学の横断というダイナミズムを感じてから本書に 戻ってもらいたいものだ。そうすれば、ソーカルは、哲学や人文科学を 攻撃しているのではない事がわかるはずだ。 |
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こりゃ久々のヒット Date:2009-06-23 おすすめ度 ![]() まだ、ラカンのとこしか読んでないけど、こりゃ久々のヒット。 僕は数学が専門なので、ラカンが引用した数学の部分の定義はすべて知っています。その上で読むと、ラカンが何をいってるのかさっぱりわからない。というか、このカオスは一体なんだろうかと思ってしまう。 しかも、ラカン本人はアナロジーではないとい言ってるのだから始末におえない。これは著者たちの指摘に100パーセント軍配があがります。 それにしてもラカン、精神分析の人たちがやたら持ち出すけど、あの人たち意味わかってんのかな〜という一抹の不安に襲われる。 とにかく、笑える。もしかしてこれがテクストの快楽ってやつ?(意味不明(笑)) |
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批判する側が批判対象と相似してしまっている Date:2009-05-28 おすすめ度 ![]() ソーカル事件で有名な 科学者の著作。 「ポストモダンの論壇って、中身がないんじゃん?」基調の話。 本書に出てくる例を見る限り、ラカンからボードリヤールまで、確かに 科学の文脈を無視した専門用語の使用をしまくりで、意味をなさない (ゆえに深遠にも見える」)文を書いているようだ。 言論を弄ぶのみのポストモダンに、実体を伴った科学。 非常にまっとうな文章である。 だが、まっとうすぎてつまらない面もある。 近代合理主義へのアンチテーゼとして登場した、相対主義の心理的社会的 な役割に対して目を向けず、あくまで科学の土俵にて、その行き過ぎを 論じているからだ。 神話と科学の相似性というものは、人間活動という観点から見れば、間違い なく存在している。だが、ここでは「何が同じで、何が違うか」を論じず 「何が違うか」にばかり集中している。 誤りを言っているのではないにせよ、これはまた一つの偏った立場となって しまっているように思われる。 アンチテーゼへのアンチテーゼの表の世界。 それは裏の世界を知らない人にはあたりまえなだけの話で、裏を知っている 人にとっては、退屈な絶縁状(批判対象になっているP.K.ファイヤアーベントの本がくれる知的興奮を思うにつけ、そう感じてしまう)。 科学とポストモダンの世界に精通していないほとんどの市民には、一つの 神話として届いてしまうだろう、皮肉な本 |


