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走れメロス (偕成社文庫)

イラスト 堀川 理万子
価格:¥ 735 (税込)
出版:偕成社
カテゴリ:単行本
ページ:287頁
JAN:9784036516100
Amazon.co.jp 売上ランキング:本で348062位
おすすめ度:

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レビュー
懐かしのタイトル Date:2009-10-31
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随分昔に教科書か何かで読んだことのあるタイトル。今更ながら…といった感は大いにありますが、本屋でふっと目に留まったので改めて買ってみました。

はじめの「ダス・ゲマイネ」は、リアルな情景描写が印象的で、自身を登場人物の一人にもした(彼らしい)少し陰鬱な活劇的物語。続くは超短編の「満願」。今の一瞬を切り取った正に写真のような小説。そして、恐らく実体験がベースであろう「富嶽百景」は、等身大の太宰がイメージ出来、最後のオチも含めて面白かった。

しかし、その後の「女生徒」はなかなか行が進みませんでした。痛く、辛く、重く、苦しい一人の女性の告白が延々と続きます。

「駈込み訴え」はスピード感のある文章で小人の権力や支配、また世俗へのアンチテーゼを一気に書き綴っていて、物凄くエネルギッシュな作品。「走れメロス」は読んだら内容を思い出しました。これは説明不要ですね。

そして今「東京八景」を読み終えたところです。これも先の富嶽百景のように、彼の生き様や生に対する思考が非常に細かく、そしてリアルに書かれていて興味深く面白かった。

さて次は最後の「故郷」。楽しみ。。。
人間の二面性が際立つ Date:2009-07-16
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走れメロスは学生時代に教材として触れているはずですが、詳細は覚えていませんでした。ああ、子どもに読ませたい友情の話か…、という冷めた視点で取り組んでいたからでしょうか。
大人になり自分の意思で改めてこの話を読んだとき、いかに血肉の通った作品であるかという事に気付かされました。確かにすばらしい友情の話です。ですがその中に点在する絶望だとか後ろ暗さだとかに一々心をつかまれてしまいます。昔なら気にも留めなかったと思いますが。その暗さに気付くと一層、作品のダイナミズムを激しく感じられます。他人事とは思えなくなり、メロスに喝采を送りたいと切望してしまいます。
重みがありますが、読み返していきたい作品です。
走れメロス裏話 Date:2009-06-26
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(メロスは走っていたけれども、太宰治は走らない)


太宰と壇一雄が地方の温泉旅館で遊蕩していた時、とうとうお金を使い果たして二人は身動きが取れなくなってしまった。
もともと壇一雄は太宰の妻に頼まれて旅費を持って太宰の元を訪れたのだが、持ち前のいいいい加減さで二人ともそのお金で豪遊してしまったのだ。

宿代もなくて旅館を出るに出られなくなってしまった二人は、無為に数日を過ごした。
しばらくして、太宰が「井伏鱒二」のところにいってくる。と言い残して東京にかえってしまった。師匠の井伏鱒二に宿代を借りてくるという太宰を信じて一人残された壇一雄は宿屋の主人の人質のような境遇で又さらに数日を過ごすことになった。
肩身の狭い囚われの身の壇一雄は主人の目の届くところまでしか外出もできない。
セチヌンティウス壇はメロス太宰の帰りを待ちわびていた。

しかし、お金を工面して戻ってくるはずの太宰治がいつまでたっても帰ってこなかった。

しびれを切らした壇一雄は宿の主人と相談して、とりあえず東京の井伏鱒二のところへいって見ることになった。

荻窪の井伏鱒二の家に行ってみると、当の太宰が井伏鱒二とのんきそうに将棋をしている。
激昂して詰め寄る壇一雄に向かって、太宰は手にしていた将棋の駒をハラリと落としていった。

「檀君、待つ身がつらいかね。待たせる身がつらいかね」

後年、太宰の「走れメロス」を読むたびにこのときのことを思い出す、と当事者の壇一雄自身がどこかに書いていた。

教科書にもよく載っていたくらい有名なこのお話の真相は、こんなネタだったのかぁ。
それにしても、待たせる身のほうが辛いんだ、という太宰の甘えん坊ぶりは、苦悩を演じていた太宰の真骨頂だな、と思いましたね。
「メロスは激怒した!」→ノコノコと1人で王様を殺しに・・・って・・(唖然)。 Date:2009-02-13
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太宰の人生や生活を知った後では、「ホントに太宰の作品か?」と疑問すら感じてしまう代表作。
やたらと前向きなんですよね・・。氏の他作品の「後ろ向き」加減とのギャップが気になるのです。

テーマは「友情の偉大さ」・・・なんだろうか?
暴君の王がいると知るや、いきなり殺害しようとするメロス。(←どんな男だ・・・)
でも・・別に同志を集めて、策略を練って、一斉蜂起する・・・って訳ではなくて、1人で城に忍び込もうとしてアッサリと捕まる間抜けさに唖然とする。

殺されてもいいが、妹の結婚式に出たいからそれまで処刑は待ってね・・・・と。
じゃ、行かせてやるから誰か身代わりの人物を寄こしなさいね・・・・と。
親友のセリヌンティウス君、お願いね・・・と。

妹の結婚式は無事に終わったけれど、宴会の酒に酔って寝過ごしてしまったぞ・・・・と。
山賊を蹴散らし、大河をも乗り越えたぞ!・・・・・でも日は暮れそうだ・・・と。
頑張ったけれど、もう約束の時間に間に合いそうにもないぞ・・・と。
諦めようか?いや、諦めないぞ!・・・・・と。

メロスは間に合い、友人は無事。王様は2人の友情に感動して2人を許す。
民衆もそんな王様の懐の深さに感動して(←あれ?これまでの暴政は?チャラ?)、「王様万歳」!(笑)
人を信じる心を取り戻した王様と、2人の友情は末永く語り継がれたのでした。 おしまい。

な・・なんて「ご都合主義」なんだ(笑)。
この都合の良いハッピーエンドであるからこそ、学校の国語の教科書にまで採用されたのでしょう。
後、短さね。たとえ、様々な疑問が生徒の頭をかすめることがあろうとも。

やたらと「普通」の評価が多いけれど、それも読めば納得。
テーマ的には「良い」ことを言ってるのだけれど、内容的には疑問も多く上がる。
短いページでよくまとめているけれど、逆に言えば無難な作品になったなと。
「走れメロス」小論――あるいは、トリックスターとしてのメロス Date:2008-10-10
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 「走れメロス」の根底にあるものに、最近、私は気がついた。
 「如是我聞」の一節を読むと、下の者が上の者を敬うことは教えられても、上の者が下の者を敬うことは教えられない、そんな言葉にぶつかる。そんなことから、太宰治という人は、縦の関係(上下関係)をぶち壊して、横の関係――お互いがお互いを信じ合い、つながり合う関係を築こうとした作家だったのではないか。と最近、私は考えるようになった。
 マルクス主義への接近も、キリスト教への接近も、根っこは同じだったのではないか。そんなことを考えたのは、マルクス主義の前提には、俗化されたキリスト教における終末思想がある、と私は聞いたからだ。さらに、小説の最後に登場する〈緋のマント〉が、それを証拠立ててはいまいか。マルクス主義運動者を、別に何と呼んだか。〈赤(アカ)〉と呼んだ。キリスト教については、どうか。イエスはユダに売られてのち、王に仕立てられ、緋の外套を着せられる。太宰は、この場面を踏まえ、〈緋のマント〉を登場させたのではないか。〈王様万歳〉という民衆の言葉を、自分に向けられたものとして、メロスはとらえた。そして、〈緋のマント〉をすすめたセリヌンティウスの言葉を耳にし、〈赤面〉する。〈緋のマント〉は王がまとうべきものである。それを〈赤面〉によって、メロスは拒絶している。権威や権力ではなく、お互いがお互いにつながり合う道を、メロスは選んだ。
 そもそも、メロスは、何をなしたのか。彼は、セリヌンティウスとの間にある友情を、王に見せつけた。王はそれに感じ、変わった。王は言った。私も仲間に入れてくれまいか、と。本来ならば、王は支配者で、セリヌンティウスは被支配者、メロスにいたっては単なるよそ者でしかなかったはずだ。そのよそ者の彼が、支配―被支配、という縦の関係をぶち壊し、友情によって、王を二人の仲間に引き入れてしまった。トリックスターとしてのメロスが、ここにいる。ここに太宰の理想世界が、象徴的に描かれているのではないか。太宰は、縦の関係をぶち壊して、みんなが真に平等に生きられる世界を志向していたのではないか。老若男女、貧しい者・富める者、明るい人・暗い人、誰も彼もが、お互いがお互いを信じ合う、そんな世界を。
 ちなみに、「走れメロス」にキリスト教文学としての側面があることは、柴田敏氏がすでに指摘済みである。
 
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