沈黙 (新潮文庫)
価格:¥ 540 (税込)
出版:新潮社
カテゴリ:文庫
ページ:312頁
JAN:9784101123158
Amazon.co.jp 売上ランキング:本で3616位
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沈黙 (新潮文庫) | Excite エキサイト ブックス > 書籍情報 遠藤周作「沈黙」読了。 キリスト教徒が弾圧されている時代に来日した宣教師の物語。 どんなに祈っても救われない、神の”沈黙”に際し、それでも神を信じるのかという点に1つの答えが示される。 私自身はキリスト教徒を含め、一切の宗教を信じないが、この答えには人間の考え方として切り捨てられない価値があると思う。神なんて存在しないけど、神は存在すると本気で信じる事に精神的な価値が生まれるという要素はあるんだろう。 しかし、そんな深い考えの末に宗教に辿り着くってのは普通無理だと思う。世界的に...
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レビュー
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キリスト教を知るためには・・・ Date:2009-11-01 おすすめ度 ![]() キリスト教の信者になろうかどうかと迷っているときに、この本に出会った。 わたしはミッション系の女子高を卒業したが、それが返って反面教師になっていて キリスト教に対する誤解というか、思い込みのようなものがあった。 それを払拭してくれたのが、この本だった。 宗教家の間には、賛否両論あるだろう。しかし、私にとってはキリスト教を 納得するのに一歩近づけた本だった。 |
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日本的 Date:2009-09-03 おすすめ度 ![]() 史実(!)を基にした物語です。江戸幕府が切支丹の弾圧をはじめ、高名な神父フェレイラが拷問によって棄教し『転んだ(=キリスト教を捨てること)』ことに非常に驚き、その弟子である司祭ロドリゴなど3名を日本に布教する宣教師として潜入(この当時は既に渡航は事実上不可能)するところから始まります。司祭ロドリゴは神父フェレイラが素晴らしい神父であったことを考えると棄教が信じられず、自ら志願して日本への布教を切望し、命の危険を冒して日本にいるキリスト教信者の為、そして神父フェレイラの真実を確かめるため、日本に渡航する決意なのです。しかし彼らロドリゴの予想を裏切るような日本での生活が彼らを待っています。日本に渡るための最終地点マカオで知り合う1人の日本人キチジローの弱さと狡さ、キチジローを頼らねばならないロドリゴたち。日本での布教と司祭としての責任や重みを噛み締めた上での日本への潜入を誓う神父ロドリゴの見た日本とキリスト教の関係は?また非常に重いテーマでタイトルにもある「神は何故沈黙し続けているのか?」という根源的問いに様々な角度から光が当たります。 史実を基にした構成で、なおこのキリスト教の布教ということに関して困難な時代の、さらに困難な目的の中でより鮮明になる重いテーマに対する明確な著者からの答えがわかりやすい形で示されているわけではありません。様々な角度から、時には掘り返してでも問題を意識させ、そのうえ考えさせるその手腕には小説家「遠藤 周作」の上手さだと思います。当然著者なりの考えがあると思うのですが、どうとでも取れる解釈を提示してくる部分など、かなり凄いです。信仰を持たない私のようなものでも、どう捉えるのか?を考えないわけにはいかないようにある意味苦しめてきます。その取りこぼしの無さはすさまじいとさえ言えます。 また、構成がとても考え抜かれていて、まえがき、書簡(1人称)を経て書かれる本文、そして最後の記述に行くあたりにも凄さがあると思います。非常に練られた構成です。 ある一人の男の生涯という意味においても、読ませる物語(結果は史実)、たとえ神に、信仰に、特にキリスト教に興味がなくとも、日本人であるなら、オススメしたいです。 |
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小説の最高峰 Date:2009-08-24 おすすめ度 ![]() 神とは遠くにあって密やかに想う、それだけではない。日常の当たり前の情景の 中に常にあるもの。希望の時、或いは絶望の時、失うことを決して許容し得ない 自らの心の在り様を慈しむが如く、他者への愛をも全うすることによってのみ その存在は鈍色の光彩を放つ。氏の主題はそこにある。 それは宗派・信条・学術を超越した、氏が文学に仮託した信念そのものなのであろう。 如何に書くかではなく、何を伝えたいか。どうしても何としても伝えたいことが ある。氏の文学の底流をなす情熱は、まさしく一流の文学作品が共通して備える 要素である。 |
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宗教に関係なく、強く印象づけられる作品 Date:2009-06-28 おすすめ度 ![]() 解決不能な問いを我々に投げかける、重い作品だ。 宗教が無ければ戦争はもっと少ないはずだと言われるし、布教が植民地化と同義であった時期もある。しかし、現場の布教と弾圧の狭間に生きた人々の、信仰と苦しみというのがどんなものであったかと言うことは歴史では習わない。 本書では宣教師の過酷な運命を通じて、異境の中で「信仰する」とはどういうことであるのか、「救い」とはなんなのかと言うことを強く問いかけてくる。別にキリスト教徒でなくても容易に理解できて、考えさせられる作品だ。私は主人公の苦しみの果ての選択を否定する気は全くない。 主人公の司祭は困難に際して「あなた」と「主」に呼びかけて、救いを求める。「主」はそれに「沈黙」を持って答えるわけだが、対話によって信仰が成り立つというキリスト教の宗教としての作法にはちょっと違和感がある。さらに対話の先に奇跡による救済を期待している点に至っては、現実の世で救いが具現化するのを期待するよりは、来世に期待する宗教観の方が健康的な気がした。 |
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究極の挫折と、究極の愛の追体験をした Date:2009-04-18 おすすめ度 ![]() 彼は自分の宣教師としての人生(そしてそれは彼の人生の全てだった)を全否定する という究極の挫折の象徴である踏み絵を行った時に イエスの究極の愛を始めて体験することができた。パラドックスだが、それは キリスト教でもっとも大切なことかもしれない。 旧約聖書にすでにこういう記述がある。 「主(神)は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。 」 遠藤周作はイエスを「奇跡を行えなかった人」と彼の数々の著書の中でも 書いていて、それは論争になっている。 しかし受難の中、圧倒的多数の人に蔑まれ、痛めつけられ、裏切られ、誤解されても 何も言い返さなかったばかりか、最後の最期まで神に彼らの罪の赦しを嘆願した イエスの、この聖性と慈愛が完全に両立された人格の持ち主が、人間の全てのmessを 背負おうと、人間の無知と暴力にただ従ったことこそ最大の奇跡に思える。 彼は人生の中で奇跡を数多く「行えなかった」のではなくあえて 「行わなかった」のではないか。 人の目を奇跡に向かわせるよりも、魚くさい貧しい村人の様な人の生活のmess、 宣教師の踏み絵行為であり、キチジローの裏切り行為でもある人の内面のmess の中にイエス様が裸一貫で入ってきて寄り添い続けたという とんでもない慈愛に気付いて、応えて欲しかったのではないか。 このような人の全ての暗い部分の一つ残らずを自分の苦しみとして どこまでも共に負い、時には身代わりになってくれる存在にどれだけ多くの人が 救われてきたのだろう? |


