泥棒日記 (新潮文庫)
翻訳 朝吹 三吉
価格:¥ 740 (税込)
出版:新潮社
カテゴリ:文庫
ページ:426頁
JAN:9784102119013
Amazon.co.jp 売上ランキング:本で83025位
おすすめ度:
[ Amazonの詳細ページへ ]
出版:新潮社
カテゴリ:文庫
ページ:426頁
JAN:9784102119013
Amazon.co.jp 売上ランキング:本で83025位
おすすめ度:

[ Amazonの詳細ページへ ]
この書籍を買った人はこんな書籍も買っています
レビュー
|
ジュネの「裏切り」の美学について Date:2009-09-26 おすすめ度 ![]() サルトルは「聖ジュネ」で、救いとしての文学表現を求める実存的存在としてジュネを解読してみせた。確かに、本書にはこんな有名な一節がある。 「さらに、わたしはよく思った、思惟する権利を持たずに思惟する人々があまりに多い、と。彼らはこの権利を、思惟することが自己の救済のために不可欠であるという底(てい)の事業によってあがなったのではないのだ」 でも、本書を普通に読んだ者には、ジュネが全くそんな安っぽい「救済」を求めるタマではなかったということが、よく分かるはずだ。サルトルはラカン的な意味でジュネの存在を言語で規定してみようと頑張った。そして、なんでか良く分からないが、ジュネもその試みに乗っかったようだ、というのが歴史的事実であろう。泥棒作家だったジュネにとって、コクトーやサルトルの支援は現世的な意味で必要なものだったはずだが、この安っぽいフィクションに乗ったこと自体、ジュネが愛した「裏切り」だったのではないかと、僕は夢想している。 ジュネはこの本を35歳で書いた。こんな老獪な文章を35歳で書いてみせたということに、彼の才能と、彼が送った前半生のキツさを見る。そして、この半生の総括というべき「泥棒日記」以降、ジュネは劇作家として蘇生し、自殺騒動を起し、ピントの合わない政治活動を幾つかやって、死ぬ。サルトルが激賞したことで、ジュネの人生は確かに救われただろう。でもジュネは、捕まった野生動物みたいな存在だったのではないかと思う。決して人には慣れない。捕まって檻に入ったら、すぐ死んでしまう。そういう人だったのではないか。 犯罪にも同性愛にも美学を感じない僕には、この本はちょっとダラダラ長すぎる嫌いがあったので、星を一つ減点した。 |
|
ジュネが騙る自伝的小説 Date:2009-02-19 おすすめ度 ![]() ジュネは孤児として生まれた。恐らく幼少期、少年期の彼は埋められない淋しさを胸に抱いていただろうと思う。やがて少年のジュネは罪を犯し感化院へ入るが脱走し、暫くして軍隊に入ったがそこも罪を犯して遁走する。以後、牢獄と貧困と犯罪の中を、危険と疲労と何よりも絶望を背負い逍遥する。 そしてジュネは犯罪を重ねる中で仲間を増やしていく。ジュネの孤独の一角は溶け彼は仲間達や同じ階層の人間を愛するようになる。 けれどジュネの感性にとってその生活は辛いものだった。彼の絶望は深まっていっただろう。そこでジュネは彼が浸っていた宿命のような様々な悪に花を添える事を、無慈悲で且つ明澄なままに醜悪を修辞で綾なす事を、覚えていく。 それは一つの感受性の擁立である。だが彼は既存の価値秩序の変革を望んではいない。その道徳秩序の底辺でその惨めさをこそ美辞ですくったのだった。(P183で述べられてるように価値の転倒した社会では彼は己れを失うだろう) もはやジュネは辱しめを、悪行を望む。醜行を身をもって知悉する事を通して一層醜悪を絢爛たる言詞で飾り、その醜悪の悲惨の重みを解放する為に。それは彼を更なる自由と自持と創造へと、また倫理的孤独へと押しやるだろう。彼はますます自己を純粋に確立するだろう。ここに彼の復権の業の動因があるのだ。 ジュネはこの企みの果てに何を求めていたのか。恐らく2つの重なり合う夢だろう。1つは自己救済。もう1つは聖性の獲得。後者が具体的にどんなものかは彼自身にも判然としていないようだ。ただあらゆるもの、例えば死の闇すら照らし得る明るい光である事は間違いないだろう。最後に一文を引用したい。P314から。『そしてある夕方、私はそこに、あなたの掌の上に、現れるだろう、小さな硝子(クリスタル)の彫像のように静かで純粋な姿となって。あなたはわたしを見るだろう。私の周囲にはもはや何ものも存在しないだろう』 |
|
悲しく、切ない男の半生 Date:2008-10-17 おすすめ度 ![]() 盗みをはたらく、強盗にも手を染める、この、ジャン・ジュネの半生を綴った本には、そんな描写がたくさん出てくる。盗みをしなければ生きてゆけない、そんな厳しい現実の描写にやられてしまった。しかもジュネは投獄され、終身刑さえ喰らいそうになったのだ。 ジュネの同性愛描写には、どこか物悲しいところがある。単なる恋愛小説ではない。愛する男に愛情を抱いたり、フラれたり、の連続。そんな悲しさをどこで晴らせばいいのか・・・やはり彼は盗みに手を染める。 話がそれるが、ウィリアム・バロウズ「おかま(クィーア)」は、あの中の悲しさもやはり、本書「泥棒日記」に似ているかもしれない。 この本でのジュネは饒舌だ。男はなぜ美しいのか、なぜ私は男を愛するのか、というモノローグの連続である。「葬儀」「ブレストの乱暴者」でもそうであったように。 ジャン・ジュネによる、純粋な恋愛小説、これがそうだ。残酷なほどリアリスティックだが。 |
|
読めるぜ・・・ Date:2008-07-10 おすすめ度 ![]() 途中で読むのやめたレビュー見たけど、オレは読んでて心地いいぜ。これポエジーだから右脳で絵を観るように読むのがコツなんだぜ。左脳で読もうとするからアタマ痛くなってきて放り出しちゃうのよ。ヘンリー・ミラーなんかも同じ。オレの場合、サドなんかの方が、トコトン左脳用なんで途中で放り出しちゃう。たいがい仕事で疲れて帰った時間で読書するから、こういうのはカッタルイんだ、苦手だね。ジャン・ジュネのこの心地よさの先に何があるのかはオレもまだ研究中だがね・・・何があるんだろう?ランボーに似ているような気はする。 |
|
好悪がはっきり分かれる作品 Date:2008-06-13 おすすめ度 ![]() 僕も他のレビューの方と同じように読み始めてから知人に「つまらないから読むのはやめた方がいい」と言われました。最初はただ「何言ってるんだよ」と全然気にしてなかったのですが、読み始めてから確かに読みにくさを感じました。一応通読してみたのですが、果たして自分が面白いと思ったのかどうか……それさえよく分からずに、ちょっと厚みがある本にしては読了後の充実感がありませんでした。実際の所、自分は読解力もたいして無いですし、本を読むのにあまり時間を掛けるのは嫌いな方でしたので作品自体は理解していないでしょう。しかし、やっぱりこの本は限度を超えて変(?)じゃないかというところがあって好きになれません。 巧みな言語の操作によって価値の転覆をはかった背徳の文学の内でも代表的と言える作品だとか。男色、窃盗、物乞い、その他あらゆる境遇にある主人公とその周辺を言葉によって美に飾り立てる筆者の異常なエネルギーは内容自体は分からないながらも何となく感じられました。作品の文学的評価に関してはサルトルが激賞して、翻訳を石川淳、三島由紀夫、坂口安吾らが賞賛したといえばだいたい分かるでしょうか。読む価値は十分にあるようです。 自分の読了後の素直な考えと比べてみて、こういってしまえばお終いなんですが、難解なものにあえて挑戦して組み敷いてしまおうとする覚悟を持っている人じゃなければもてあますんじゃないかと思います。フランス語は言語そのものが抽象的だと聞いたことがありますが、とにかく文章が抽象的です。そこがこの作品のポイントだと言えばそうなんでしょうが、普段なかなかお目に掛からない熟語の数々が微妙なニュアンスで結びつけられていてとにかく分かりにくい。たぶん作中で同じ感覚をあらわすのに三十通り近い表現を用いているんじゃないかと。内容も『日記』という題名が示すとおり、自伝的要素の濃いものですので山場らしい山場にも欠けます。また、作品自体根幹に男色が置かれているのでそう言った方向に多少なりとも理解がなければ(ゲイじゃなければってことじゃないです)読んでいるのはきついでしょう。 購入前に書店などで立ち読みして自分に合った物かどうかを確認してからの購入を僕はお勧めします。ちょっと積極的に本自体を勧める気にはなりませんが…… |


