新潮選書 零式艦上戦闘機
価格:¥ 1,470 (税込)
出版:新潮社
カテゴリ:単行本
ページ:350頁
JAN:9784106036460
Amazon.co.jp 売上ランキング:本で88324位
おすすめ度:
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レビュー
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新世代による太平洋戦争史 Date:2009-11-22 おすすめ度 ![]() これまでの戦史作家とはまったく異なる、新しい世代による戦史の登場である。 よくいえば、戦後半世紀を経て、太平洋戦争はとうとう名実ともに「歴史」となったという感慨のうえに、コンピューター(ゲームやシミュレーション)世代感覚による評論だなという感想をもった。 読後、印象に残ったポイントを箇条書きで書くと以下のようになる: ・前半の技術的サマリーはなかなか役に立つ。 ・戦闘のどたばたにおいては、いかにミスを減らし、損耗率を敵より少しでもあげることが戦争での勝利に結びつくという冷徹な事実(戦争のTQC?) ・日本の航空機の損耗はミッドウェイ海戦ではなく、ラバウル周辺の攻防戦で増加したという指摘。 ・プラグマチズムとカイゼンの米国流、ブレークスルーはできるものの、いったん打ち立てた発想の転換がなかなかできない日本、という今にもつながる戦術運営思想(というか民族的特質)の違い。 ・すでに何人かの評者も指摘するように、操縦技術は重要ではないが、射撃(=照準)技術が大事というのは、確かに矛盾。 ・半世紀も昔に、今からすると想像を絶する不十分なテクノロジーで、太平洋を血にそめて日米が殺し合いをしたとう感慨(江戸時代までは、刀という刃物で殺し合いがあったというアナクロ感に匹敵する、不思議な感じ・・・前大戦は「歴史」となったのだ) エンタテイメントとしては、前半のハードの記述が読みでがあるのに対して、後半はソフト(運用手法)についての数字の羅列と、(元データが不正確なぶん困難なことを差し引いても)無味乾燥となりがちな分析となり、正直退屈である。軍事オタクのための読みものとしては面白いという観点から、星3つ。 |
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熱狂的ファンには、ちょっと常識的すぎるかも知れない Date:2009-11-14 おすすめ度 ![]() 今頃「ゼロ戦」って、例によってのゼロ戦お宅作家か、でなければ、設計方針や日本の工業力を扱き下ろして溜飲を下げるタイプの評論家かと思ったら、本書、どちらでもなかった。 著者は、機材の戦術的使用法に少なからぬ失敗があったことに主な力点を置き、零式戦闘機に限界のあったことを追求している。兵器・機材として零戦の性能を冷静に分析しているし、いわゆる巷の通説(あくまでも巷の)による戦記物に多い勘違いからくる過剰な思い入れや、逆に批判のための批判に堕している誤解が少なくない事実もとりあげ、きちんと解説している。 つまり、零式艦上戦闘機とは、相手が絶対に逃げないドッグファイト訓練での性能なら、各国の戦闘機と比較してピカ一に近い性能を発揮するが、実際の戦争は、そういう平和時における演習の理屈が通用する戦闘とはならず、設計時の予想を超える使われ方を戦術的、量的両面で強いられたあげく、最後の最後は2千馬力級航空機材の大量出現で主役を譲らざるを得なくなったということ。 とかく、陸軍悪玉論が語られがちだが、航空戦備に限っては、一式戦・隼、二式戦・鍾馗、三式戦・飛燕、四式戦・疾風から五式戦に至るまで、とにかく連続して優れた機材を開発し続けた陸軍航空のマネージャー今川一策少将に対し、海軍航空のマネジメントを実質的に担った和田操少将の紫電改にいたるまでの体たらくは、どういうわけなんだろうかと考えさせられてしまう。 なお、ちょっと気になったのは、参考文献中に堀越二郎・奥宮正武共著『零戦』をあげているが、本書の主張するところは、すでに概ね奥宮正武氏が、その他各種の著作で指摘しているところと重なっているのが指摘されること。たまたま着眼点が一致したにすぎないのなら結構だが、好く消化しているとはいえ、そこに何となく座り心地の良くないものを感じさせられた。 |
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「ゼロ戦神話」を打ち砕く一冊! Date:2009-10-08 おすすめ度 ![]() ゼロ戦についての神話は数知れない。 否定的なものも最高の戦闘機だと褒め称えるものも、一言で斬って 捨てるばかりで裏付けの示されていないものが多い。 一般的に人は経験を元にして語るとき、断定的になってしまいがちだ。 個人的な経験は総合的な判断とはならず、「群盲象を撫でる」などと いおうものならケンカになってしまうだろう。 しかし失礼ながら、戦争体験者の昔話は結局生き残った人の言ったモン 勝ちでしかないのではなかろうか。 「死者に口なし」、同じ戦争を死者に口がきけたなら何というだろう、と 思われる発言を時に聞く。 本書はそんな日頃の不満に応えてくれた。 戦後も大分経って生まれた著者だからこそ、そんな戦争体験者の「呪縛」 からも逃れ、冷静な視点で客観的に見つめることができたのだろう。 日米双方の多くの資料に当たり、実際の戦力や戦いの帰趨の分析、運用 方法や戦法の違いなど、ゼロ戦の神話を打ち砕く説得力のある一冊となって いる。 多少の誤りや誤植はあったとしても、全体像として今までにない「ゼロ戦」 を読者の眼前に浮かび上がらせてくれるだろう。 |
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52型丙が最高の零戦である!! Date:2009-10-04 おすすめ度 ![]() 零戦については、これまで多くの本を読んできたが、ステレオタイプの本が多かった。そうした状況の中で、今後、本書は、零戦に関心を持つ者としては、そのオリジナリティによって必読の書となると思う。 これまで、零戦マニアにとっては、最高の零戦のタイプは、21型か22型というのが通り相場だったと思う。しかし、著者は52型丙を高く評価している。52型丙は20ミリ機銃2門、13ミリ機銃3門を持つ強火力型であるが、これまでは、重量過大で運動性が悪い等酷評されることが多かったと思う。 著者は本土防空戦における零戦部隊の意外な善戦のスコアから、これまでの通説に反論している。著者が指摘するように、編隊同士の空戦では、戦闘開始時の高度の優位等敵機との位置関係が非常に重要なファクターとなる。敵機の来襲を早期に察知し、地上管制等により、十分な高度と速度を確保したタイミングで敵機に先制攻撃をかけることが肝要なのである。こうした運用がなされた場合、火力に優れる52型丙は、戦争末期であってもかなりの威力を発揮したようだ。この時の零戦の空戦は、従来イメージされていたドッグファイト的なものではなく、一撃離脱型の空戦であったに違いない。 私も、かつて、雑誌「丸」に掲載された戦争末期の零戦パイロットの手記で、13ミリ機銃が非常によく命中し、有効であったとする記述を読んだことがあり、同銃を装備した、52型乙や52型丙があまり評価されていないのを不思議に思ったことがあったので、著者の主張には、我が意を得た感があった。 著者も指摘しているように、陸軍では、戦争中期には、12.7ミリ機銃(アメリカのブローニングに比べると低威力だったようだが)を実用化していたのだから、歴史にIFはないが、海軍も面子を捨てて、零戦にこの銃を搭載して欲しかったと思う。 零戦のエルロンの不良による高速ロールの欠陥についても、従来から指摘されていたことではあったが、その深刻さについては、著者の指摘で改めて戦慄を覚えた。 |
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戦争というのは、間違いと判断ミスの連続ですね Date:2009-09-23 おすすめ度 ![]() 旧軍オタクからすれば細かな話はいろいろあるでしょうが、著者が語りたかったのは、総力戦の現実。長期にわたる戦いはベテランパイロットを消耗させ、その損失を惜しむなら、彼らを新人教育担当者として後方に送り込まざるを得ず、そうなると常に前線は素人同然のパイロットで担わざるを得ない、と。そうした素人集団も運用によっては、やりようによっては負けない戦術をあみだし、それ徹底させることが、負けないことにつながる、と。さらに言えば、そうしたドライな現実を受けいれる覚悟が米軍にあって、日本軍になかったことが、1943年を通じて行われた中部ソロモン諸島と東部ニューギニア争奪戦における大消耗戦を招き、組織的な反抗が出来なくなった原因である、ということが著者の最も言いたかったことではないかと思います。 一般にいわれる、ミッドウェーの敗戦が決定的であったわけではなく、その後も零戦と旧帝国海軍の機動部隊はなかなか米軍とよく戦っていて、米軍のミスにも助けられた面もあったにせよ、ガダルカナルまでは、互角に渡りあっていたということが、よく描かれています。米軍も無敵ではなく、個々の戦闘では、間違いばかり犯しますし、特に日本軍に押されっぱなしの太平洋戦争緒戦では、アホなミスばっかりやってます。 米軍はハリウッドの映画のような無敵な軍隊ではなかったろうけど、現実を見て、それを受けいれ《大量の「にわかパイロット」を戦力化する上で目指すべき戦い方は、実はこのラッキー・ショットの発生率を最大化することであり、そのために敵により多くのミスをさせ、味方のミスをより少なく抑え、一瞬の好機に大量の弾丸をバラ撒くこと》という具体的な効果のある戦術に反映させるフィードバックのシステムに優れていたろんだろうな、と感じます。 |


