日々是修行 現代人のための仏教100話 (ちくま新書)
価格:¥ 756 (税込)
出版:筑摩書房
カテゴリ:新書
ページ:224頁
JAN:9784480064851
Amazon.co.jp 売上ランキング:本で7606位
おすすめ度:
[ Amazonの詳細ページへ ]
出版:筑摩書房
カテゴリ:新書
ページ:224頁
JAN:9784480064851
Amazon.co.jp 売上ランキング:本で7606位
おすすめ度:

[ Amazonの詳細ページへ ]
この書籍を買った人はこんな書籍も買っています
レビュー
|
釈迦に立ち戻って考える Date:2009-12-30 おすすめ度 ![]() 朝日新聞に2年間にわたり毎週掲載されていたエッセイが元になっており、連載中から楽しみに読んできたが、1冊に纏まり通読するとまた別趣の感興をそそられた。 著者は宗教学者で、仏教史特に原始仏教(インド仏教)が専門だ。本書はあくまで釈迦の考えたことや説いたことを論理的に述べ、盲目的信仰や神秘主義、因果応報等とは距離をとる。第1話の「最強の知恵者とともに」から最終第100話「釈迦の教えに魅せられて」まで、2,500年前に真剣に生き悩んだお釈迦様がベースとなる。釈迦の説いたことは悟りへの道であり、本来の修行(精神集中や瞑想)が智慧の源であるとの指摘は読む者の腑に落ちる。更に、現代日本の教団や僧侶のあり方、仏教教理や経典に対しての仏教原理主義者(「釈迦の仏教」にこだわる著者)からの発言は新鮮だ。 また著者は化学工学の学究徒から文学部哲学科へ転じたようで、仏教と科学は接点が多く相互補完関係にあると考え、仏教の本義の説明も合理的だ。物理学者、脳科学者、遺伝学者達との交流も折々にでてくるが、素粒子学者戸塚洋二さんとの出会いと没後の追悼は感動的だ。死別と言えば、新聞連載中に議論を引き起こした「自殺は悪でない」(第40話)も考えさせられる。生き残った者が自殺者を安易に貶めるべきではないとの説話には、キリスト教、イスラム教等とは異なり絶対者を認めない仏教の穏やかさを感じた。 本書は新聞連載が何回か延長になったようで重複が気になるし、1話がそれぞれ短く若干の物足りなさがある。しかし、釈迦の言葉を平易かつ論理的に述べており、釈迦を今に生き返らした意味ではアトラクティブだ。「生き死に」に悩みの多い現代人のための仏教入門書としては最適の1冊だと思う。 |
|
仏教の科学との親和性を説く Date:2009-12-29 おすすめ度 ![]() 現代人のための仏教について新聞のコラムをまとめた本で100話のエッセイ。 本書の特徴は仏教における修行の重要性、仏教の科学との親和性を強調していることである。 著者は仏教以上に科学の方を愛している印象を受ける。釈迦が絶対者ではないとして、現代の 科学知識に照らして不合理と思われる部分は積極的に否定していて、その大胆さに少し驚く。 著者の考え方を受け入れると、いずれ科学が仏教を飲み込んでしまうのではないかと思って しまうが著者はそれでいいと思っているのだろう。 また、新聞のコラムをまとめたものであるからだろうが、内容が細切れで全体的に平凡なもの になってしまっている。 本論とは直接には関係ないが、著者が死後の世界を否定しながら、物理学の(コペン ハーゲン解釈ではなく)多世界解釈を支持しているのが面白いと思った。なぜなら死後の世界 と多世界は、この世界から「触れることができない」という点で同じだからだ。 このあたりの著者の考えをもう少し聞いてみたいと思った。 |
|
果てしなく愚劣な書。 Date:2009-12-04 おすすめ度 ![]() こんな俗受けする駄本で仏教を学ぼうとする者こそ哀れである。 わざわざこの馬鹿げた本を選ばなくとも、他に良い書物はいくらでもある。 <胡散臭い仏教学者>とやらが法話めいたものを吹くとこのありさまである。 生死輪廻を嘲笑し、断滅論に走り、自殺を擁護し、殺生も肯定し、俗塵と馴れ合う大馬鹿者の見本がここにある。根本仏教を語るようでありながら、その実、愚かしい大乗化に終始する始末である。つまり、佐々木は仏教そのものを理解する以前に、仏教存立の前提が理解できていないのである。出家も志さずに寺で生まれ育った者の仏教認識などおよそこの程度のものである。朝日も筑摩も見識がない。識者は誰しも苦笑を禁じえないはずだ。 当方は著書『地蔵十輪経』において、現代日本仏教の軽薄さを代表する論説として佐々木の「日日是修行」を取り上げ、縦横に筆誅を加えた。真に仏教を知ろうとする有志の諸賢はぜひとも『地蔵十輪経』を繙かれんことを。 |
|
枝葉のついていない仏教本来の姿が伝わってくる本です Date:2009-09-03 おすすめ度 ![]() そもそも、ブッダ(釈尊)は「仏教」を信仰してなどはいなかった。 「仏様に救いを求めなさい、そうすれば救われますよ」などと言ってはいなかった。 もちろん戒名に値段などつけてはいなかった。 ひとりの生身の人間として生まれ、私たち現代人が抱えるような心の苦悩を抱え、 その克服を目指し、「人体実験」とも言えるような身命を賭けた探求精進の末に、 その解放の「道(方法)」を発見。その道を生涯にわたり説き続けた人、 それがブッダであった。 ブッダが説いた「道」とは、理にかなった方法で、「身」(身の振る舞い)、「口」(言葉)、 「意」(こころ)を正しく調えてゆけば、誰でもが悩み苦しみから解放されるという、 今日においてもそのまま通用する、普遍性のある実に合理的な方法であった。 本書を読むと、「仏様信仰」になる以前の、まだ枝葉のついていない仏教(ブッダの教え) 本来の姿が自然と伝わってくる。 本書と最近刊行された「気づきの瞑想を生きる〜タイで出家した日本人僧の物語」と いったような南方仏教の実体験本と読み合わせると、読経や托鉢、葬式etcといったものが 「本来こういう意味合いを持っていたのか」ということが、より鮮明になってくるだろう。 |
|
宗教大嫌いな人にぜひ Date:2009-08-22 おすすめ度 ![]() 自分は、現代日本の仏教を含めた宗教のほとんどに否定的です。 日本の八百万の神などは、全てに感謝という謙虚に生きるという意味で好きですが…。 神道の善きも悪きも死ねば神(神の善悪も別)も、過去を認識し今に役立てると言う意味で理解可能。 しかし、現代にある多くの宗教の言う「神」「絶対者」「超越者」「生まれ変わり(笑)」など居る訳もないし、「人間に都合の良い便利な発明」程度の認識です。自分で考え悩む必要が大幅に減る訳ですから…。 仏教も同じ様なものだとの理解でした。 しかし、このコラムを朝日新聞の連載で目にしてから、「原点の仏教」については大きく認識が変わりました。 仏教とは本来、自分自身で自分の心を助けるものだったとは。 釈迦は後進に道を示してくれただけで、絶対者ではないとは。 そして「絶対者」も「超越者」も居ない、普通の人間が主役となるものだったとは。 仏教は宗教ではなく、生きる為の哲学だなと思いました。 しかし、初期の仏教もまた宗教。とするならば、今まで自分の認識していた「宗教」は完全に間違っていた訳だ(笑) いったい宗教とは何なのだろう? 少なくとも、自分は「仏教」の徒なんだと気が付かされた。 (そして連載の終わった今、朝日は解約した) |



